【読書感想】父という病

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【読書実践報告】2022-11-26

「父という病」

著者:岡田 尊司

目次

【1.この本を読んだ目的・狙い】

・「母という病」を読んだ後、父親に関する役割を知るため

・父と子に関わる上での重要な要素を知るため

【2.読んでよかったこと、感じたこと】

(アウトライン)

・現代に進むにつれて、世間の認識としての「父親としての役割」が希薄化している危険性が孕んでいることを知れた

・父親としての「役割」を客観的に把握することができた

・「父親の不在」により子どもに与えられる「リスク」を客観的に把握できた

・「父という病」を防ぐ方法を把握できた。

(詳細)

・現代に進むにつれて、世間の認識としての「父親としての役割」が希薄化している危険性が孕んでいることを知れた

・父親としての「役割」を客観的に把握することができた

⇒ 生物学的な役割:母子を外的から守る。補助的なもの。

⇒ 人間世界の父親の役割 農耕生活になって確立

高度に組織化された社会的協力、蓄積された富をめぐる集団間の組織的な戦闘

家父長として一家を筆記いる、子供に共同体の掟を教え、一人前の構成員に育て上げるという役割

一家のリーダー、教育者、精神的な支柱

近代工業化社会の到来により、父親の役割を「社会」が担い、父親は労働に駆り出され子どもの前から「いなくなる」。

⇒ 父の二つの顔(強く頼もしい庇護者・恐ろしい畏怖の対象)

⇒ 母親 子どもの「探索行動」のバックアップ(母親が安全基地となる)

父親 子どもを社会へガイドする導き手、チャレンジや冒険へ誘う(「母親からの解放」)

⇒ 母親としての役割は、「生物的な役割」が大きく占めることに対し、父親としての役割は、「社会的な役割」が大きく占めることがわかった。

⇒ 父親と積極的に関わり、愛着を形成することは「健全な大人」になる上で重要なプロセス。

・「父親の不在」により子どもに与えられる「リスク」を客観的に把握できた。

⇒ ①父親に対する敵対心(エディプス・コンプレックス)

②父親に敵わないことを悟り、憧れや同一化の対象とする

③社会の掟の把握、自制心の醸成、自分で試行錯誤して自立する

といった子どもの成長に必要なプロセスが上手に踏めなくなる。

⇒それにより、

①「母子分離」ができないまま大人になる(マザコン等の症状)。

②「憧れ」や「同一化」の対象の不在により、不安定な成長になる。

③ 自己の誇大化やわがまま、欲のコントロールができない

というリスクがはらむ。

⇒「父親の不在」の克服方法

① 母子分離の段階をうまくクリアできていない場合

「父という病」以前の問題と、「父親の不在」により母子分離のプロセスが踏まれなかった問題がある。その人の愛着障害の原因と傾向を把握した上での克服が必要。

② 父親が機能的に不在の場合

母親のフォローが必要。そうしないと、「父親のイメージ」に囚われる(特に「父親に対するネガティブイメージ」はほぼ「母親からの刷り込み」による)。

思春期になって、「母親からの刷り込み」が「まやかし(母親が子どもを支配するためのダシ)」だと必ず気づく!!

身近に「父親として機能」を果たす人がいるとなお良し。しかし女の子に対して「性的対象」にとして決して見ないような自制心のある男性である必要がある。

「ネガティブな父親像」を子どもに押し付けない。

③ 父親との葛藤が未処理の場合

三者関係が苦手(一対一なら安心する人が多い)。独占欲強、妥協できない、力を施す、社会性や柔軟性が乏しい状況を把握した上で、必要なアプローチを踏む。「心の中の父親像」にいかに振り回されないか。

・「父という病」を防ぐ方法を把握できた。

⇒ 母親がどれだけしっかり子どもに関われたかがものをいう(父親と離別したことに対して、母親が動揺し続けたり、恨みがましく言ったりせず、ネガティブな父親イメージを押し付けない)。

そうでないと、誰に対しても安心した関係を持てなくなってしまう。

⇒ 子どもの中に作られる父親像を傷つけることは、父親との葛藤を深めるだけではなく、その子の将来の他者との関係、その子が将来もつことになる子どもとの関わりに影響したり、女の子の場合には、夫との関係を困難にしたりする危険があることを肝に銘じておきたい(引用)。

【3.この本を読んで自分は今から何をするのか】

・父親がいなくなった場合の、母親として子どもたちにできるケアやフォローを考えてみる

・私の中の「理想の父親像」をきっぱり捨てて、他人に対して「ありのままの人」として受け止める

・夫と子どもたちの関わり方を観察してみる

【4.3か月後には何をするか、どうなっていたいか】

・「終わりに」に書かれていた以下の文章を自分に問いかけ続けて、夫とのあるべきパートナーシップに決断できている状態にする

”父親なんていらないーと嘯いても、心の底で子どもは、父親を求めている。そして、父親も母親も幸せでいてほしい。できれば2人が仲良く、愛し合う存在でいてほしい。それが無理なら、せめて傷つけ合わずに、互いを尊重した関係でいてほしい。子どもが、そう願うことは、願いすぎだろうか。”

父親のイマーゴから解放することの意味、自分ができることを、自分なりの回答を見出せるようにする。

相手に理想の父親像を求め、それと比べて失望するのではなく、ありのままの相手を見ることだ。裏切られたと思っているのなら、それは間違っている。最初から、勝手な期待をかけただけなのだ。自分の期待に反したからといって、相手を責めるのは、相手からすれば、全くふとうな仕打ちとしか思えないだろう。相手を祀りあげたのは、あなたなのだ。

あなたが求めるような理想の存在など、現実には存在しない。それを比べれば、みんな欠陥品になってしまうだろう。過度な期待と失望という事態を防ぐには、現実離れした理想の存在を求めるのではなく、欠点もあれば、良いところもあると言った不完全な存在を、ありのままに受け入れ、お互いにいい関係を築いていけるように努めていくことなのだ。いつの間にか否定的な父親像と同一視し、嫌悪や怒りを感じているとしたら、自分の中の否定的な父親像の支配に気づき、それを無関係な存在に投影してしまう悪い癖を脱することこそが課題なのだ。

その場合に必要になるのは、相手の欠点ばかりではなく、良い点をみて、共感的で肯定的な応答をしていくということだ。それは、別の言い方で言えば、相手の安全基地になるということだ。そして、相手の欠点も含めて受け入れ、そのトータルな存在を大切に思うということが、真の意味で愛するということなのだ。相手だけを悪者視する幼い思考を脱しよう。そのために、愛する人を失うだけでなく、あなたの子どもから愛する存在を失わせることのないように。

「父という病」-父親のイマーゴから解放される-より

なぜわたしには上記ができなかったのだろうか(長女病的に考えるのではなく、なるべく客観的な視点で考えたい)?

私が夫にどんな過度な期待をしてしまったのか?

私は夫の安全基地となることを、自分の幸せを天秤にかけて、できる覚悟があるのか?

子どもへの影響という観点で、①変わらない夫を受け入れること、②夫と離れることのリスクや、できるフォローを具体的に考える。

以上です。

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